ブログパーツ
Attention!
明らかな宣伝や当方で不適当と思われるコメント・トラックバックは削除する場合があります。
リンクフリーですが、一言お知らせ頂けますようお願いします。 カテゴリ
全体 私の手作り キッチン編 私の手作り ソーイング編 マイホームライフ 東急沿線情報 お出かけ-食べ歩き お出かけ-食べ物以外 着物 写真 ガーデニング Music リンク集 ワーキングマザー 番外編 このブログについて 未分類 以前の記事
2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 more... 最新のコメント
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
ファン
記事ランキング
画像一覧
|
闘病記じゃないといっても、そもそもどんな病気だったの?という
ことくらいは書いておこうかしらね。 何らかの先天性心疾患を持って生まれる赤ちゃんは全体の1%いるらしい。 100人に一人は、何らかの心臓病で生まれるのだ。 担当のA医師に聞いた時には、多いなと思った。 じゃあ何で身近に「この子、心疾患だよ」という赤ちゃん、子供が そんなにいなかったような印象なのか。 まず100年ほど前には、新生児の心臓病を診断する手立てが無かった。 (以下、全てA先生からの受け売り) 仮に聴診器で「心雑音がある?」となっても、超音波が無かったのだ。 超音波が登場して、心臓を物理的に見られるようになっても、 今度は赤ん坊や幼児に心臓の手術をする技術が無かった。 心臓内部の手術というのは、後から多分手術の話で出てくるように、 大人でも子供でも心臓をいったん止めて物理的な修復作業をする。 その間、患者は人工心肺で生命を維持するのだ。 人工心肺は何でもいいというわけにはいかなくて、大人用のを 乳児、幼児が兼用することはできない。 そして昔は、乳児用、幼児用の人工心肺は開発されていなかった。 娘のアクアが手術をした15年前は、かなり小さい乳児に手術が できるようになって間もなくの頃だったようだ。 それまでは、仮に赤ちゃんに心疾患が見つかって、本当はすぐにでも 手術したほうが良いことがわかっていても、体がある程度大きくなって 人工心肺が使えるようになるまで、じりじりと待つしか無かったのである。 A先生いわく、もしもアクアが50年前に生まれていたら 手術が間に合わず命を落としていたかもしれないし、30年前に 生まれていたら、手術できる年齢になるまで待っている間に症状が悪化し、 命は助かっても後遺症が残っていたかもしれない、と。 それで冒頭の話に戻るのだが、大昔は心臓に穴があっても発見されず、 乳幼児の間に心臓病とは気づかれないままに命を落としていた子も いたのだろうな、と。 また、心室中隔欠損症、心房中隔欠損症でも、穴がごく小さい場合は 体が大きくなるにつれて自然に穴がふさがる場合もある。 そういうケースは割と多いらしい。 それらも含めての「1%」である。 当然手術は不要だし穴がふさがれば健康体となる。 穴がある間でも、血流の漏れはわずかだから心不全もほとんど起こらない。 逆に心不全が出るようなら手術の対象となるということ。 実は娘にも心室中隔欠損以外に心房中隔欠損症と動脈管開存症があった。 動脈管は通常、肺呼吸を始めてしばらくすると閉じるのだが(胎児はエラ呼吸)、 それが残ってしまっているのが「動脈管開存症」。 心室・心房の中隔欠損にしても動脈管開存にしても、何らかの症状が出ず、 かつ自然にふさがってくれば治療の必要は無い。 アクアの場合、後者二つは自然にふさがっていったので、外科手術の 対象にはならなかったのだ。(厳密には心房のほうはちょっとだけ縫っている。) 大昔はきっと、そうやって自然に治癒していた子は一生「心臓病だった」と 本人も気づかないままだった可能性もあるのだろう。 私か夫の先祖にも、そうだった人がいるに違いない。 なぜこんなことを書くのかというと、先天性心疾患は妊婦のせいではなく、 遺伝によるものだからだ。 遺伝的な要因に、何らかの(未知の)要因が加わって発生するらしい。 「何らかの要因が加わって」だから、心臓病の人の子供、孫が必ず心臓病と なるわけではない。 実際、私のきょうだいの子供も含めて、知る範囲では私と夫の親戚に 「先天性心疾患でした」という人はいない。 しかし上記が明らかとなるまでは、「私の妊娠中の何かの行動のせいで 子供の心臓に穴があるんだ」と苦しんだ産婦は大勢いるのだろう。 それを考えるといたたまれない気分になる。 子供の心臓に穴があいている。その事実だけでも充分苦しいのに、 さらに自分を責めねばならない苦しみを負うなんて。 A医師はアクアが心臓病なのはお母さんのせいではないと なぐさめてくれたし、それが事実なのだろうと頭ではわかっていた。 だからといって心臓病の我が子を心配して、いてもたってもいられない 気持ちが無くなるわけではない。 「私のせいじゃないんだ、じゃあいっか!」となるわけがない。 誰のせいとか、そんなのはどうでもよくて、ただひたすら、 どうかこの子の命が助かりますようにと祈り、育児と看病を必死にするのだ。 それにしても、初めての子供の育児がこんな状況だったから、 ますます「普通」の感覚が狂っていったのが当時の私である。 新生児の「普通の」育児って、どんなものなのかしらね。 昼夜問わずの授乳で睡眠不足でしんどい、とか。 子供が全然泣き止まなくて、抱っこしすぎで腱鞘炎や腰痛になった、とか。 はたまた産後一か月まで湯舟に入れないから、冬の出産だと寒くて 仕方ない、とか。 私の場合はそれら全部プラス看病、だったわ…。 次は多分、通院と手術編の予定。
■
[PR]
by pino-ombra
| 2017-09-14 23:05
| ワーキングマザー
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||
外部サイトRSS追加 |
||