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カテーテル検査から5日後は、アクアが生後4ヶ月になる日だった。
いったん退院して一日家で過ごした後、すぐに循環器専門の病院に入院した。 手術だけは専門の処でやってもらい、その後のフォローは元の 大学病院でやってもらう、という形である。 翌日にはすぐ手術ということで、入院したその日から慌しかった。 術前検査が色々あるからだ。 私はアクアを抱いて、言われるがままにあちらの部署、 こちらの部署へと検査を受けに連れて回った。 お決まりのエコー検査はもちろんのこと、血液の何かの濃度?を 調べるためらしく、指先に針を指して、そこからちょっとずつ 搾り取るようにして採血する、というのもあった。 大学病院では痛い検査(専門用語で「侵襲」と言うらしい)をする時は、 親を決して立ち合わせなかった。 わが子に針を突き立てられる様子を見て(たとえ医療行為とわかっていても)、 親がパニックになったり邪魔するといけないからだろう。 しかしこの病院は違った。 針を刺されてぎゃんぎゃん泣く娘の体と腕を押さえつけて動かないように 固定するのは私で、あまりにつらくて自分の指に針を刺されている気分だった。 それだけではなく、泊り込みの付き添いは必ず「母親」でなければならない、と。 すでに母乳を飲んでいなくても、赤ちゃんじゃなくても、「母親」が 24時間泊り込みせねばならなかった。 用事があって一瞬でも母親が病院を離れる時は、その間、ナースステーションで 子供をみていてくれることはなく、父親が交代で病室に張り付いていなければ いけなかった。 付き添いで病院に泊まったことがある人は知っていると思うが、 付き添いの人が寝るのは患者のベッドと壁の間に設置する 狭くて固いベンチみたいな寝台の上だ。 寝返りはいっさいできない。 そして起床時間になったら、夜間、どんなに眠れていなくても 片付けねばならない。 (患者のケアをするスペースが確保できないから) 夜通しの看病でふらっふらになっていても、昼間に横になることはおろか、 足を投げ出して座って休憩することすらできないのだ。 数週間の入院付き添い中、一応三食を抜かさず食べていたのだが、 帰宅して体重を量ったら数キロやせていて、もともと産後一ヶ月で 妊娠前の体重に戻っていたので、妊娠前より軽くなっていた。 今はすっかり中年にふさわしい体重になってしまったが、 じゃあ、あの時に戻りたいかと言われても嫌だな。 この日私は、初めてアクアの心音を聴診器で聞いた。 医師が手術後と較べられるように、聞かせてくれたのだ。 典型的な、「ザー、ザー」という心雑音が聞こえた。 手術になった要因の一つとして、血流の漏れにより肺高血圧症に なっており、顔色も健康な赤ちゃんに比べるとよどんでいた。 ほぼ四か月だというのに、首も据わっていなかった。 振り返ると、まさに手術をその時、しなければいけない状況だったんだな、と。 その後、夕方に執刀医から手術の説明があり、今までの同病院での手術では、 赤ん坊でも輸血をした例は少なかったと言われた。 また、心室の穴をふさぐ素材は繊維みたいなものだとか、おおよその 予定時間なども説明された。 心臓の手術というと8時間とか10時間かかるんじゃないかと思っていたら、 その先生は一日2件とか、多い時は3件もの赤ん坊の心臓手術をしていて、 1件が数時間らしい。 (15年前の話なので、そのまま参考にはしないで下さい。) 手術当日。 夫と私は、眠くなる薬でぐっすり眠った状態のアクアを手術室の前で見送った。 私が倒れないよう、夫がしっかりと肩を支えていてくれた。 待機部屋では、どうやって過ごしたのか全然覚えていない。 聞かされていた予定時間より早く済んで、看護師に呼ばれて 慌ててNICUに駆け付けた、ということだけは覚えている。 アクアは複数の管につながれ、ぐっすり眠っていてぴくりとも動かなかった。 それを見て、また足元がふらついた。 あまり見ていると倒れるんじゃないかと思われたのか、看護師さんが また明日会えるからと、短時間で部屋から連れ出してくれた。 残念ながら、手術が始まってすぐ血液を調べたらすごい貧血で、 輸血されることが決まったらしい。 可能性は低いとはいえ、検査をすり抜けた血液の可能性もあるわけで、 術後しばらく経ってHIVや肝炎などが陰性との結果が出るまでどきどきしていた。 輸血を受けたので、アクアは一生、献血はできなくなったわけである。 別にそれ自体は困ることではないけれど。 私も献血できないし。(該当する期間に1年間イタリアに住んでいたため) 手術自体はうまくいき、心室の穴は完全にふさがれた。 あけて見てみたら、ほぼ単心室に近いくらい大きな穴だったらしい。 カテーテル検査をしていても、そこまで詳しいことは実際に見ないと わからなかったということ。 今は事前にもっと詳しく分かる技術が発達しているのかな。 翌朝、まだアクアはNICUにいたが、会いに行って見た瞬間、 私はあっと驚きの声を上げた。 アクアのほっぺが今まで見たことがない、明るいばら色に変わっていたからである。 これが本来の、血液循環の漏れが無い、健康な赤ちゃんの 顔色だったんだ! 一生忘れられない、我が子の心臓病が治って健康になった瞬間。 そう、この手術は「根治治療」。 症状の原因を完全に治す治療で、手術が成功した今、アクアは 健康体になったのである。 (心臓病だったことは事実なので、既往症としては「心室中隔欠損症術後」と書く。) 退院前にもう一度聴診器で胸の音を聞かせてもらったら、 術前のザー、ザーという音ではなく、「トクッ、トクッ」と澄んだ音になっていて、 本当に治ったのだと実感できた。 NICUから普通の病室に戻った後の入院期間は2週間半だった。 回復が早かったためで、比較的短いほうだった。 それでも付き添いとしては非常に大変だった。 心臓の術後は徹底して水分制限をしなければならない。 水分は心臓に負担をかけるから。 赤ちゃんは摂取する栄養(母乳かミルク)はほとんどが水分で、 これの管理がすごく難しい。 それを付き添いの母親がすべてやるのである。 あなたのお子さんは今日、飲んでいい水分は何ccですよと言われ、何回もある 授乳回数でどう割り振って飲ませるかは、全部母親の責任。 どのお母さんも一日中、電卓を片手に授乳管理表とにらめっこして、 さっき50cc飲んだけど次は何ccにするか…と頭をかかえていた。 飲みたがるからといって一回に沢山与えると、その後にひもじい思いを させかねない。 母乳はすべて搾乳し、何ccと分量を測ってからでないと与えられない。 ストレスを受けると母乳が出にくくなるというが、ご多聞に漏れず私もそうで、 過酷な看病で徐々に母乳の出が悪くなった。 強いストレスを受け続けている複数の人間が狭い空間に 閉じ込められているとどういう状態になるのか、想像してみて欲しい。 本当は母乳のほうが赤ちゃんの栄養的には良いのだが、仕方なくミルクも併用し、 唯一アクアが受け付けていたシリコン製の乳首を使って飲ませていた。 アクアの胸には術後しばらく、ドレーン…?ではなくて何だっけ、とにかく 管がついていて、その状態の赤ん坊の世話をするのは非常に恐かった。 それでも、母親がすべてやらないといけないのだから仕方が無い。 退院の許可が出たときには、安堵の涙がこぼれた。 ぽかぽかとした春の日差しがあたたかい日、 娘のアクアは健康になって家に戻ってきた。 そしてその日、私と夫はアクアを抱っこしていて気づいた。 首が据わっていたのである。 生後4ヶ月半。 やっと本当に春がやってきたんだ。 復帰への道のり編(予定)に続く。
by pino-ombra
| 2017-09-28 22:40
| ワーキングマザー
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